- 身内が「芸人になりたい!」などと抜かしてきよった
- 知り合いに芸人になろうとしているやつがいる
- 「芸人になりたい!」と家族に言ったら、どんな反応をされるのだろう

芸人が家族に「芸人になる!」と言った時の体験談を聞きたい!
この記事はこのような方にオススメです。
この記事は僕が家族に対して
- 「芸人になる!」と言った時
- 本当に芸人になる時
この2つの場面で、どんな反応をされたのかについて書いてます。



僕は10年前に三重県四日市を出て、大阪吉本に入りました
「芸人になる!」と家族に宣言した時、地元が”東京・大阪”か”地方”なのかで、家族のリアクションは変わってくるでしょう。
もちろん、リアクションが大きくなるのは地方です。
地元が三重県四日市なので、僕は地方勢です。
それでは参りましょう!
NSCに入学するまでの流れ


初めに、僕がNSCに入るまでの流れを書きます。
僕は三重県四日市という街が出身地です。
- 四日市ぜんそく
- コンビナート
などで有名な街ですね。
鉄道ファンなら「JR四日市よりも近鉄四日市の方が圧倒的に栄えている!」
というイメージでおなじみの四日市です。
「四日市にもJRが走っている!」ということを知らない四日市市民……
マジでいると思いますよ!
その四日市で、高3の10月〜11月頃に「芸人になる!」と決めました。
芸人になるために、NSCに入ると決めます。
NSCは、東京か大阪にしかありません。
(今は「地方NSC」なんてのがありますけどね)
僕が選んだのは、大阪NSC。
当時のNSCの授業料は40万円。(現在は50万円)
その40万を入学前に一括振込です。
これが吉本興業という会社のやり口ですね😊
入学する前に金だけもらっておいて「あとは勝手にせぇ!」っていうのがね😉
高3の僕は「入学金は絶対に自分で払う!」と決めました。
僕が普通に大学に進学していたら、授業料は親に払ってもらっていたでしょう。
でも「NSCに入って芸人になる以上は絶対に親の力は借りない!」
と決めてました!
なぜなら芸人になるから!
でも高3の僕に40万なんて大金はありません。
なので高校卒業後すぐに、ユニクロでバイトを始めます。
そこで1年間働いて「NSCの40万 + 大阪への引越し代」を自分で貯めてから、2011年4月にNSCに入学します。
ここまでが、僕がNSCに入るまでの流れです。
- 「なぜ大学進学をやめてNSCに入ったのか?」
- 「芸人になろうと思っきっかけは何だったのか?」
- 高3の僕の”ゆれ動く想い”
などについては割愛します😉
長くなりすぎますからね!
「芸人になる!」と家族に言った時の反応


僕の家族は5人でした。
俺・父・母・兄・祖母。
ちゃんと「芸人になる!」と宣言したのは、父母だけですけどね😉
両親に「芸人になる!」と言った時
両親には2009年初冬ぐらいに言いました。
「まぁ、絶対に反対なんかせんやろな〜」と思ってました。
なぜ反対なんかしないのか?
それは我が家が『超』がつくほどの放任主義だから😌
今思えばね。
どれくらい放任主義か説明します。
兄が10代の時に
- タバコを吸おうが
- 酒を飲もうが
- 髪型をピンクのモヒカンにしようが
- タトゥーを入れようが
- バンドで食っていくと決めようが
- ベンツを買おうが
何にも言いませんでしたね😊
いやっ……言ったのかもしれませんけど「別に問題になってた感」はなかったかです。
兄は6つ歳上です。
当時15〜16歳の兄貴が上記5つのことをやっていても、(ベンツは兄が二十歳ぐらい)
9〜10歳の僕は「なんかようわからん💦」って感じでした。
今思えば異常ですけどね😊
ベンツなんかすぐに差し押さえられてました😁
ベンツがなくなってから、ピンクのモヒカン頭で、黒いジャケットにチェーンみたいなもんぶら下げて、ママチャリでどっか行ってましたわ!
アホみたいに。
「アホみたいに」ていうかアホですけどね😉
そんな兄を生み出した親に対して「芸人になる!」なんて言っても絶対に反対なんかせんやろ!
と確信してましたね。
2009年の初冬。
両親がリビングにいる時に
僕:「あんな〜、俺NSCに行っていい?」
両親:「ええよ。」
以上です😌
その後にちゃんと言いました。
「入学金も大阪に行くお金も全部自分で貯めるわ!」
兄に「芸人になる!」と言った時
兄には「NSCに行くねん!」と伝えたというよりも、いつの間にか伝わってた!
という感じです。
両親のどっちかが言うたんでしょうね。
兄に「おまえネタなんか作れんの?」と言われました。
まぁ「芸人になることに反対!」って感じではなかったですね。
で実際、僕はネタ作ってますしね😉
そもそも反対されたところで「なんでお前なんかに反対されなあかんねん?」
って感じやし。
当時の兄は24歳。
見た目はもう普通になってました。
タトゥーは未だに消えてないですけどね。
祖母に「芸人になる!」と言った時
おばあちゃんにも「芸人になる!」なんてことは言わなかったです。
芸人になることを反対されたとて、芸人になります😆
「それなら別に言わんでもええわ!」って感じでした。
おばあちゃんは僕が芸人になることに、賛成するか?反対するか?
予想はつきませんでした。
だから「別に事後報告でいいや!」って思ってました。
「NSCに入るために大阪に行って、その後に両親から何かしらの報告が届くだろう!」と……
今思えば親不幸者ですね。
でも当時19歳の僕はそう思ってました。
「芸人になる!」と宣言する:まとめ
ここまでが、僕が家族に対して「芸人になる!」と宣言した時の様子です。
「宣言した」と書きましたが、実際に宣言したのは両親だけです。
「『「芸人になる!』なんてことを宣言するのは、両親だけで充分や!」
と思ってましたから。
兄・祖母には両親のどっちかが伝えたんでしょうね。
この記事のこの段階では、まだ僕は高校生です😉
芸人に本当になる時の家族の反応


ここから先は、本当にNSCに入学するまでの流れを書きます。
高校を卒業しておよそ1年後の話です。
NSCの入学試験に合格した時
2011年の1月末頃にNSCの入学試験を受けて、1週間後に合否通知が届きました。
家族全員の目の前で封筒を開けて「あ〜合格やわ!」と言いました。
兄に「おまえ全然喜ばんやん!」と言われました。
「そらそやろ!こんな誰でも受かるとされている試験に合格して誰が喜ぶかい!
こんなもん合格して当然やろ!」と言いました。
「こんなもん、受かって当然やろ!」
「ここで不合格になるぐらいなら、吉本なんかに入らへんわ!」
本気でそう思ってました。
実際にそこで不合格やったら、その時点で吉本には入らなかったでしょうね。
NSCの入学試験よりも、中1の最初の中間試験でアルファベットの大文字・小文字を書く方が難しいです。
本当にNSCに行く時
2011年の2月末には、大阪への引っ越しの準備が整います。
おばあちゃんに初めてNSCのことを聞かれた
おばあちゃんが、僕が芸人になることに1番反対していましたね。
家族・友達を含め、1番反対していたのはおばあちゃんです。
おそらく父親が「康輔(僕の名前)吉本に入るで!」と言ったんでしょうね
ある日の昼、ユニクロの仕事が休みで家でくつろいでいる時、「あと1ヶ月ぐらいで大阪やな〜!」
そう思ってたらおばあちゃんに呼び出されました。
「あんたなんで吉本なんかに行くん?せっかくユニクロで働けてるのに吉本に行くやなんて……
ばあちゃん悲しいわ……」
そこで自分がどんな返答をしたのかは覚えていません。
おばあちゃんは大阪出身です。
おそらくですが、昔の超絶ブラックだった時の吉本のイメージが染み付いているんでしょう。
「ブラックだった」てのは2019年にあった、闇営業問題のことじゃないですよ!
その時には、おばあちゃんは亡くなってます。
「吉本」という会社がまだ大阪だけでやっていた時のイメージです。
- 明石家さんま師匠
- 島田紳助師匠
- オール阪神・巨人師匠
このお三方が、吉本に入る前のイメージがあったっんだと思います。
とはいえ……
「おばあちゃん悲しいわ」
と言ってたとはいえ、「嘆き悲しむ」ほどかと言われれば微妙ですけどね😁
「まぁおばあちゃんとしては、やめてほしいわ〜」ぐらいの感じでした。
最終的に吉本に入ってかは普通でしたからね。
まぁNSCを卒業してからは、俺と兄を見間違えるほどボケてましたから……
もしかしたら「吉本に入った!」ということすら、忘れてたのかもしれません😆
本当に芸人になる時の兄の言葉
2011年の3月下旬。
ユニクロを退社し
- NSCの入学金40万
- 大阪への引っ越し代15万
➡︎合計 55万
も払いました。
「いよいよ大阪に行くぞ!」と言う時に兄に言われます。
兄:「おまえ本当に大阪に行くの?」
僕:「うん」
俺の心の中:(いや今まで冗談かと思ってたんかよ!
高3の2学期に漏れ伝わってから、もう1年以上経っとるやないか!)
(合格通知も一緒に見てたやないか!)
と思いました。
この兄の「おまえ本当に大阪に行くの?」という言葉。
これには後日談があります。
僕が実際に芸人になり、23歳の時に兄から聞きました。
「おまえ本当に大阪に行くの?」
これは”疑問”ではなく”焦り”という意味での「おまえ本当に大阪に行くの?」
ということでした。
兄:(弟は19歳にして本気で芸人という夢を追いかけて、大阪に行くつもりだ!
それに引き換え、俺は25歳にして未だに本気で追いかけられる夢を見つけておらず、挙げ句の果て未だに実家暮らしに甘んじている)
という意味での「オマエ本当に大阪に行くの?」ということでした。
兄:(俺はこのままではマズイ!)と思ったんでしょうね。
まぁそんな兄も今や中卒にして起業し、月収50万を超えてますわ!
逆に俺が焦ってますね。
(兄は、30歳の時には企業してたのか)てね。
ちなみに僕が大阪に行く時、兄にはこうも言われました。
「オマエ、大阪に行っても絶対にタトゥー入れんなよ!」ってね😁
「そのセリフ、10年前のアンタに言わんとあかんセリフやがな!」
って言いました。
NSC入学後の家族との付き合い


2011年4月にNSCに入学するわけですが……
入学してから家族付き合いに何かあったわけではないですね。
印象に強く残っているのは
- 「芸人になる!」と家族に宣言した時
- 本当に芸人になる時
の2場面です。
「NSC入学前」と「NSC入学後」で、付き合いが変わったのは、むしろ地元の友達ですね。
地元の友達に「芸人になる!」と言った時についてはこちらをチェック
✔️
「芸人になる!」と家族に宣言した時の反応:まとめ


この記事では「芸人になる!」と家族に宣言した時に、どんなリアクションをされたのかについて書きました。
僕はそんなに反対されなかったです。
「芸人になる!」と決めた時に、
- 進学先
- 就職先
この2つが何も決まってなかったのが大きいですね。
何の進路も決まってなかったから、芸人になれました。
あとはまぁ……
「なんかもう大学に行くのめんどくさいな💦」
そう思っていたのが1番大きいです。
高3の10月〜11月の段階で、推薦などで大学が決まっていたらそっちに行ったでしょうね。
ちなみに当時のセンター試験は受けましたよ。
受ける意味は全くなかったですけどね😆
とまぁ……
こんなところで、僕が「芸人になる!」と家族に言った時の家族のリアクションについての話は終わり!😊
「芸人になる!」と友達に行った時の記事も見てね😁
ほなね〜😆👍